昌平君(当時高校2年生)は、学校でもフダ付の「ワル生徒」。親は何とか大学に入ってくれればと願っても本人は全くその気なし。 たまたま、その年の9月に札幌掃除に学ぶ会主催第一回トイレ掃除例会を札幌市内中学校で行なうと言う事で、ご両親は会の発起人の一人として参加者を募ったが、思うように集まらずおまけに父親もその日に仕事が入り途中で退席予定になり、思い余って「おい、昌平お前お父さんと一緒にトイレ掃除しないか?お父さん途中でいなくなるかも知れないから頼む」と言うと、何故か「わかった行くよ」の返事。 |
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参加すると、何と言っても「体育会系のワル」だけに体力だけは大人以上、ど
んどんトイレを磨き上げる姿に周りのオジサン会員は「スゲー!」「ワアーッ」
の声。取材に来ていた北海道新聞の記者も昌平君に感動して記事レポート。 数日後の北海道新聞にその記事が掲載されるや、学校の中で評価がガラリ 変わった…「昌平やる時はやるんだ」今までは周りの同級生は顔を合わさな いようにしていたのが、彼の存在を認めるようになった。 周りに認められるようになった昌平君自身が意識が変わり始めた。「俺はでき る」と…急に大学に進学をしたくなった。 しかし、残念ながらそれまでの成績も悪かったが、それよりも何度もの停学を受けていたことで学校推薦はありえない事で、普通では受験すら難しいと言うのが現実として立ちはだかった。 それでも大学受験を諦めない昌平君は父親に懇願し、旅費をもらい三年生になる前の春休み、全国の大学を訪ね歩いた。しかしどこの大学に行っても「学校推薦がないのでは無理」が回答だった。 失意の中で訪れた九州の大学で偶然大学幹部に会うことができ「うちの大学では推薦がないと無理だが、大阪の大阪産業大学なら、何か一発芸を持っていたら「一発芸入試」と言うのがあるよ」と教えられ、自分自身何か自信のある一発芸があるか札幌までの帰り旅、必死に考えた。そして思いついた・・・「高校生トイレ掃除日本一」と言う得意技を。 |
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両親ははそれを言われ絶句したが、他に方法も見当たらず、昌平のため!と札幌掃除に学ぶ会事務局長の田村に頼んだ。 田村は聞いて迷った「大学入試にトイレ掃除哲学は似合わない…」しかし、親友の息子の一生もかかっていると言うことで、思い切ってイエローハット鍵山社長に電話をし、状況を話し「札幌掃除に学ぶ会として推薦状を書いてもインパクトは少ないと思うので、何とか鍵山さんが推薦状を書いていただけませんか?掃除哲学の趣旨から外れているのは承知の上でお願いします」 鍵山社長の答えは意外だった「田村さん、我々の活動はそう言う前途ある若者を育てることが一番の目的です。喜んで推薦状を書きましょう」 数日後、鍵山社長直筆の推薦状が届き、札幌掃除に学ぶ会代表世話人長沼昭夫と事務局長の田村が作成した推薦状が昌平君の手に渡り自身渾身の思いで書いた「高校生トイレ掃除日本一」の申告書と共に大阪産業大学の受験審査を受けた。 結果は見事合格。結構大学レベルとしては高いほうである同大学を昌平君の成績では絶対無理であったにもかかわらず… 念願の大学に入り、それまではA~Zまでさえも言えなかった英語を含め、必死に努力し4年間で無事卒業し、イギリスの有名大学院の受験を今度はきちんと英語受験で受かり、そこも無事2年間で優秀な成績で卒業し、大阪の有名企業に就職。 台湾の有名企業の娘さんと恋愛の末結婚し、今では子供も生まれ、いいお父さんとして活躍しています。 中学校のトイレ掃除参加が、彼の人生を大きく変えました。 札幌掃除に学ぶ会ではこのエピソードから「父子参加」「母子参加」を呼びかけています。 親子でいい汗を流しませんか? |